本を読むということ

一日の読書時間がゼロの大学生が増えているという情報を最近よく目にする。情報社会の弊害で、本を読まなくても知りたい情報はインターネットにでていて、簡単に手にすることができるからである。

本を読む人と読まない人の差は簡単には埋まらないと伊藤忠の丹羽社長が言っていたのを「人は仕事で磨かれる」で読んでから、週一を目標にしてもしくはそれ以上のペースで読んできた。語彙力が増えたとか、自分の考えを文章にして伝える力が少しついてきたとは思うが、読まない人との決定的な差を感じることはまだない。

一般に読書をすることで身に付く力は知識・教養や主人公の気持ちを考えることからくる想像力などと言われることが多いが、そもそも本を読むことのメリットはそんな簡単に目に見える結果に出るものではなく、気づいたときには追いつきようのない差が生まれているというのが持論で、今はそのインプットの我慢の期間。成長角度という言葉を用いている本に出会ったことがあったが今はその角度を最大化することに専念する。今は小さな差でも角度によって年月を重ねるごとに大きな差になってくる。自分の自由に使える時間の多くとれる学生のうちはその時間の使い方次第で10年後、20年後の未来は大きく変わってくる。

本と言うのは読んだ直後には感動や余韻から為になったなと感じることがあっても、1週間後に内容を問われれば思い出せないなんてのはざらにあることで、それはものすごくもったいないことに感じていた。だからこそ感想文等アウトプットする場が大事であり、そこで感じたことを自分の言葉にして表現することで、本当の意味でその本を読んだことになると思う。

普段本を読む習慣のない人はその力が劣っており、論文を書かせても自分の考えをまとめるのが苦手で、先行研究を羅列しオリジナルの文章のように書き綴ったり、考察も浅いものになる傾向があるという。同じ資料を読んでも読み取れる情報量に差があり、完全に自分のものにすることができない。社会に出てからその必要性を感じ読書を始めたとしても、限られた時間の中ですぐにその成果を出すことは難しいだろう。

今のうちから本を読むことを習慣付け、本の虫となってみよう

格差社会

2012年の調査では日本の児童のうち16.3%が国民1人あたりの平均年収の半分(122万)にも満たない家庭で暮らしている。つまり10人に1人以上の子供は今の自分と大して収入の変わらない親が育てていることになる。また子供が1人とは限らないから、1つの家庭で複数の子を育てていることも考えられる。そうなれば子の養育費、生活費はもちろん倍増する。今自分が現在の収入額で子供を養っていけるかと聞かれたら答えは当然ながらNOであるし、むしろ自分一人の生活でも自信はない。

さらに言えば、そんな家庭で育った子は希望の進路に進めないことも珍しくない。貧困は子の世代に連鎖する。生まれた子に罪はなく(こう言うと当該家庭に怒られるかもしれないけど)誰もが教育を受ける権利は同様に持っているはずである。今自分は義務教育の期間は終了し、大学に行かせてもらっている身であって、これを当たり前のことと思ってはいけない。まずは親に感謝しなきゃいけないし、これはかなり幸運だったということも忘れてはいけない。

全国どこでも水道の蛇口をひねったら飲料水が出てくるのは、世界中探しても日本くらいのものだと思う。アメリカでさえも発展している地域をのぞいたらまだまだインフラは整っていない。先進国の中でもそういった地域が存在するということは、全世界規模で見たら自分は相当恵まれた環境に生まれたと言える。もしかしたら自分はまともに教育も受けられないような環境に生まれていたかもしれない。だからこそこの恵まれた環境に生まれたことを社会に対して還元していきたいと思う。

豊島区のNPOを立ち上げた女性もきっと同じ気持ちだったと思う。これは個人の価値観の問題であるから、一概に全員が共感してくれるとは思ってもいないけれど、少しでも共感してくれる人とともに何かしらのアクションを起こしてみたい。

そのためにも今はひたすらにインプット。

新しい武器

昨日ついにMacBook Air 購入しました。卒論、就活はよろしくね相棒。

携帯もiphoneだし同じApple製品の方がこの先なにかと便利かなとか軽い気持ちで購入したんだけども、日本語入力に切り替えるのに30分くらいかかったことを考えるとこいつを使いこなすのにはまだまだ時間が必要なようですね。

まあこいつを使いこなせればアウトプットの機会が増えるということをモチベーションにして頑張りましょう。

ところで、今日12月8日は母の誕生日です。毎年何かしら送りたいなとは思ってはいるんだけど、いざなにかをするとなると急にこっぱずかしくなってしまう。こういう時、うちの姉妹はうらやましいと思う。

さて、1ヶ月後にアジア周遊旅を控える私にとって日々の円安報道には頭を抱えている。ただ、円安がトヨタをはじめとした輸出産業を促進し、日本経済を潤してくれるのなら文句はない。だがしかし、日本の経済構造的に全国民の約8割を占める中小企業にアベノミクスの影響がもたらされるまでには、やや時間を要する。まず大企業が経済成長の恩恵を受け、そのあとから中小という関係になっている。そのため一部の野党議員は、アベノミクスで国民生活はより厳しい状況に追い込まれたと豪語するが、これはもってのほかである。

そもそも任期半ばの2年間でここ十数年間続いたデフレを脱却するというのが根本的に無理難題である。異次元緩和等の過激な政策は急激な円安を呼び、物価の上昇につながった。そもそも2013年にインフレターゲットを2%に設定したのは記憶に新しく、これは一見政府の計画通りに見えるが、物価が上がれば上がったで生活が苦しいと囃し立てる。結局国民の誰もが幸せになれる政治なんてものは存在しないのではないだろうか。

どこの層の負担割合を増加させれば幸福が最大化するかという考え方に近いように思える。

またこれも日々勉強あるのみ。

 

 

選挙

今日12月2日、11月に消費増税を先送りにしたことで国民の是非を問うという大義名分のもと、選挙が始まった。

年末の忙しいこの時期に、そして衆議院の任期を2年残し、志半ばで解散を決意した裏には、野党の選挙体制の整わないうちに決戦をしようという与党の思惑が見て取れる。
しかしなぜこのタイミングで突然の解散なのか。増税を見送ったことが原因で解散したのなら、先送りにする場合は国民の是非を問うという旨をあらかじめ告知していてもいいのではないか。
国民のための選挙ではなく、国会議員のための選挙と感じてしまうのは私だけだろうか。
そして選挙が決まった途端に、普段はほとんど機能していなかった安倍首相のTwitterでのアピールが始まった。自らの掲げる公約や党の政策をアピールするという意味では有効であるとは思うが、選挙期間だけではなく、普段の活動から活発に発信していけば国民はもっと政治に関心を抱くのではないだろうか。これを機に態度を改善してもらいたい。
また公約を掲示する際、野党は与党よりも理想論を並べやすいという側面にも注意が必要である。冷静に考えて非現実的な政策でも、一部の人にとって利益があるとみれば野党では政策として掲げることができるからである。民主党政権下の普天間移設問題がいい例である。今回の問題としては原発社会保障費等が主な争点となろうか。
一般に投票にいく年齢層は高齢者が多いことから、高齢者に益をもたらす政策をとることが多いが、それでは一向に国は良くならない。僕ら世代の人たちが積極的に投票に行けば政治家も態度を変えざるを得ないだろう。同世代の若者たちよ、今こそ立ち上がろう。少しずつでも日本を変えていこう

増税見送りについて

安倍政権が消費増税を18ヶ月間先送りした。これは10月に発表されたGDPの成長率の数値が思いの外低かったことが原因である。

2017年4月までに日本経済を回復させ、成長軌道に載せれば、税収は増え、財政再建も進む。

しかし記者会見で安倍氏は「再び先送りすることはない。」と明言する。成長で税収が増えるなら増税しなければいい。

景気の状況に関係なく増税するならなぜ来秋は見送ったのか。

ここに首相の考える「不都合な真実」の存在が垣間見える。

それは日本の人口減少と高齢化のスピードを考えれば、経済が成長しどれだけ税収が増えようとも、財政は崩壊するというものだ。年々増え続ける社会保障費はもはや増税以外に解決策がないものと思われる。

だとすれば日銀のサプライズ緩和のあった今秋の増税をなぜ見送ったのか、疑問が残った。日銀と協力して経済の活性化を図ると公言していたにも関わらず、日銀だけが肩すかしをくらった格好になった。

(朝日新聞より)

黒人少年射殺事件、白人と黒人で受け止め方に大きな隔たり(調査結果)

http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/25/divided-over-ferguson-shooting-poll-_n_6223150.html


この記事をまとめると、調査対象となった黒人回答者の過半数以上(64%)が白人警察官(ウィルソン氏)に過失があると考えるが、同時にウィルソン氏の罰は軽すぎるものとなる(53%)と回答。重すぎるものとなると回答したのはわずか2%。


上記のように考える人の数は民主党支持者が共和党支持者の3倍以上となる。


今回の事件を「この射殺事件を、独立した事件なのか、警察が黒人をどう扱っているか示す一例に過ぎない」のかで一番意見が分かれる。

黒人の74%に対して白人は31%、民主党支持者の57%に対して共和党支持者は18%だった。


74%の黒人がこの事件を単なる射殺事件として捉えていないことになる。共和党支持者は黒人差別容認派が多いということが推測される。



ミズーリ州政治家らの対応は適切だ」と答えた人の割合は、全体でわずか17%(白人の17%、黒人の13%)


人種を問わず、政治家の人種差別意識の低さを感じているということか

俺もそろそろ

夏休みの一日は大方の流れが決まっていて、大抵が午前中は炎天下の中直径22cmの球体を追いかけ、午後は国家試験の勉強に励むという変哲のない日々を送り、その中に時たまバイトに入ってはイライラし入ってはイライラしという毎日を過ごしていた。人生の夏休みとも言うべき大学4年間で、来年から就活の時期がずれることを考慮すると今年が最後の夏休みなのではないかと考えながらも、何一つ夏らしいことをしていない自分に嫌悪感を抱いてはいるが、何の行動を起こせぬ自分の行動力のなさにあきれていた。

最近俺が部活をする理由というのも他の大学生との差別化を図り、「今日、飲み会うぇーい!」とかほざいてる大学生とは違うぜっていうアイデンティティを保ちたかっただけではないかと悩まされている。サッカーへのモチベーションというものも見事に消え去り、ただなんとなく部活に通うという一種のルーティーンへと化した。しかしルーティーンとしては時間の拘束力という意味においては他のそれからは群を抜いており、非常に足かせとなっているのは間違いないが、かといってそれを辞し新しく何かを始める行動力もないので現状に甘んじているのである。

飲み会うぇい学生がそろそろ就活を意識しだして、やれインターンだ、やれ就活セミナーだと騒ぎ始めているが、そんなことは意識しだいでアルバイトだって職業体験だろう、セミナーなんか行かなくていいから本を読めと自分に言い聞かせることで焦りを周りに悟られないようにする自分をとても惨めに感じる20の夏の昼下がり