カンボジア人について

昨日の夜、2週間弱に及ぶタイ、カンボジア一人旅から帰国した。旅の途中、食中毒にあったり、深刻な金欠に陥ったり、タイという国の光と闇の部分を垣間見たりと日本にいてはできないような経験をたくさんできた。出発前は行きたいところをリストアップしてここの次はここに行ってという計画を念入りにたてて行ったが、現地では自分のしたかった旅は観光目的ではなかった事に気づく。観光地を順に巡る旅の形態を否定する訳ではないが、今回の旅の目的はできる限り現地の生活に触れ、日本との文化の違いに触れたいと思っていた。そういった経緯で最低限行きたかった地(アンコールワットやキリングフィールド)以外はきっぱりと諦め、目的もなくプラプラとする日を増やした。そんな旅をしていて特に印象的だったのが、カンボジアでのトゥクトゥクドライバーの家に招待された時の会話。「日本人は一生懸命に仕事をし、たくさんの金を持っているが幸せではない。カンボジア人は仕事は少ししかしないため、ほとんどの人が貧乏であるがみんな幸せだ」今まで給料の高い仕事で休みなく働くか、自分の時間は多く取れるが給料の少ない仕事というどちらが幸せになれるのかというテーマで自分の中で自問自答を繰り返してきたが、カンボジア人は完全に後者の考え方だった。アンコールワットがそこにある限りトゥクトゥクの仕事はなくなる事はないだろうし(鉄道網の発展などは考えられるが、アンコール遺跡群の範囲が広大なためしばらくは実現は困難だと思われる)、将来に対する不安というものを感じている人は俺の目には誰一人として映らなかった。清潔な生活に慣れきった自分はそこで出された水を飲んだ事で1週間たった今でも下痢に悩まされている。しかし現地人は毎日その水を飲む事で耐性が備わっている。シャワーは水しか出ないし、ドアも完全には閉まらない。そんな状況でも毎日happyに生きることは彼らにはできる。またカンボジア人は非常に心優しい人たちだとも同時に感じた。深刻な金欠に陥った俺に対したったの2、3日前に仕事を通じて知り合ったばかりにも関わらず飯や水をおごってくれたり、自宅のシャワーを貸してくれたり、晩餐に招待してくれたりと色々と面倒を見てくれた。経済的に余裕のない生活を送っている事から、金が絡むと貪欲にがめつくなる人が多いが基本的には心優しい人種なのだと感じた。彼らの国が経済的に発展し、日本と同じレベルに到達した際には日本人はカンボジア人から真のおもてなしの心を見習うべきだと思う。旅に出るまでは自分は先進国に生まれ、喉が渇いたら蛇口をひねって水を飲む、このことがどんなに幸せな事かと思っていた。しかし旅から帰ってきた今では心境は少し違う。自分は恵まれた環境に生まれたと思うのは勝手に付け上がりに過ぎず、インフラすらまともに整っていないが、カンボジア人は人の一番温かい部分を日常的に感じながら生活しているのである。本当に恵まれた環境に生まれたのは果たしてどちらなのか。非常に考えさせられた。